少年の頃に先輩が乗っていたZ2を偶然譲り受け、そのZ2を修理するために部品取りでZ2を探すと次から次へとZ2が出てきて、譲り受けたZ2を修理しては売り、売ってはまた買っての売買を繰り返す。
米国在住の日系人と親しくなり、米国からバイクや車を輸入し貿易商として屋号PRODUCT "M" COMPANY、個人事業として創業する。
本格的にバイク輸入販売業と共にVWやフェアレディーZ等のビンテージカーの輸入も始める。
4輪の車高短やオーバーフェンダー等の改造申請車検代行を行う。
二輪中古車販売の全国誌に広告を展開する。円高が加速しバイク輸入も40"コンテナにて仕入れるようになり内外価格差の大きいポルシェなどの高級スポーツカーの輸入販売も行い始める。 店舗兼工場の建築を計画。
志筑に総床面積50坪の店舗兼作業場が完成。
AIA(日本外国自動車輸入協同組合)に加盟。ホンダNSX(米国名ACURA)新車を2台を輸入。
全国誌のオートバイ雑誌で記事に取り上げられるようになり「PRODUCT "M" COMPANY」も徐々に知名度と共に信頼性が上がってきた。
カナダからボルボ850ターボエステートを大量に輸入販売。ポルシェ911ターボを同時期に6台の在庫する。 志筑の店舗が手狭になり佐野に新店舗建設を計画する。
津名町佐野に総床面積約120坪の新築社屋が完成。斜面の土手から湧水が溢れ青い海と空、背後には緑の山、建物は風水の縁起を担いで「黄色」に決定する。 大型バイク輸入販売台数年間500台を突破。
阪神淡路大震災 外国製メジャーブランドパーツの販売を強化し大量輸入を始める。志筑で中型店、佐野で大型店として2店舗体制で展開。
米国からシボレーアストロ、メキシコからシボレー(タホ)等の新車を輸入。 OEM製作にてオリジナルパーツをラインアップする。
アールズ、ワイセコ、ダイナテック、ダイマグ等のメジャーメーカーパーツを積極的に取り扱う。 協力工場にてオリジナルパーツの製作を開始する。
資本金1千万にて株式会社ピーエムシーを設立。会計専門職を雇用し会計ソフトの導入と同時に顧客と商品管理を徹底する。P.M.Cオリジナルパーツの製作を始める。Windows95にてHPを立ち上げる。海外一流ブランド会社と順次、日本輸入販売元の正規代理店契約を締結する。PMC-Arms Racing を設立しドラッグレースに参戦し年間シリーズチャンピオンを獲得。
二年連続でPMC-Arms Racingが年間シリーズチャンピオンを獲得。サーバーを設置しLANネットワークを構築する。海外OEM工場にて自社オリジナル製品を製作。アルミホイル"SWAORD"を製作販売。月刊Mr.Bike BG誌に約24ページの小冊子カタログの付録。
小冊子カタログの第二弾の製作と同時に月刊ロードライダー誌の巻末に約30ページ連載広告を記載。プラスアルファー社と提携し世田谷環八沿いにミニショールームを開設。PMC-ArmsRacingが米国NHRAに参戦しベストドレッサー賞を獲得。
約1千万円を投じ200ページのA4版総合カタログ12,000部を製作。東京モーターサイクルショーに初出展しメジャーメーカーを目指す。オートバイの輸入を辞めパーツ販売を主軸業務とする。
東京インターマデックスに出展。翻訳ソフトの導入で海外売り上げが堅調に推移。
東京国際モーターサイクルアフターパーツ産業展に出展。
ニコルレーシングを通じ英国APレーシング社との共同開発による4ポットキャリパーをデリバリー。
現社屋用地約450坪を取得。
過去最高の増収増益の決算。タイ製YSS社のリアショックを取り扱う。
現社屋の建築計画がスタート。東京プレミアムモーターサイクルショーの出展。
東京モーターサイクルショー出展車両
約500万円の経費を投じ東京モーターサイクルショー2度目の出展。
二回の増築工事を施した佐野工場の敷地面積も限界を越え志筑に新社屋の建築を計画。
建築費約1億5千万円で現社屋が完成。
約1500人を集め第一回西日本Zミーティングを開催。
東京モーターサイクルショー出展車両
約400万円の経費を投じ東京モーターサイクルショー3度目の出展。
東京モーターサイクルショー出展車両
Zミーティングを改め「第一回淡路島バイクフェスタ」を開催
4度目の東京モーターサイクルショーは約500万円を投じYSSブランドを擁立させる。
全国有名量販店にて占有売り場コーナーの設置。
YSS号鈴鹿4耐に続きもてぎ7耐の連続優勝。
東京モーターサイクルショー出展車両
5度目の東京モーターサイクルショーは約600万円を投じ6ブース体制で出展。
YSS号もて耐2年連続完全優勝後前橋にてメディアを含め関係者40名を招き祝勝会を開催する。
6度目の東京モーターサイクルショーも約800万円を投じ6ブース体制で出展。
就業規則の完成と労務体制の整備。
東京モーターサイクルショー出展車両
7度目の東京モーターサイクルショーも6ブース体制で出展。
人事評価制度と等級制度による賃金体系の整備。
社員旅行は異国情緒に満ちた長崎へ。
東京モーターサイクルショー出展車両
主要取引先を招き第1回経営指針発表会を開催。
8度目の東京モーターサイクルショーも6ブース体制で出展。
10度目のバイクフェスタは西日本Zミーティングと題し約4000人の来場者と共に最終回を終えた。
YSSを装備したTEAM TEC2笠井選手がMFJ 全日本ロードレース選手権JP250クラス優勝。
現行車向けカスタムパーツブランド【ARCHI アーキ】を立ち上げ、Z900RS向けカスタムパーツに力を入れる。
PMC敷地内にて【Z900RSオーナーズミーティング】開催。小規模ながらも溢れかえるほどのZ900RSが集結し、バイク熱の高さとZ900RSへの希望を抱かせるイベントとなった。
Vamos with PSK&YSS・A-TECH Racingが【九州エンデュランフェスタin SPA直入】に参戦。発売間もないKawasaki ZX-25Rでレースを制しKawasakiとYSSの名を世に知らしめた。
Z900RS専用ロングテールカウル累計2000枚の売り上げ突破。新型フェンダーレスキット「スライトリアフェンダー」との相乗効果もあり【ARCHI アーキ】ブランド立ち上げ2年目で売上金額1億6千万円を突破。
YSSを装備したTEAM TEC2がMFJ 全日本ロードレース選手権JP250クラス3連覇達成。
コロナで自粛していた外部研修(社員旅行)を六甲山にて開催。
2019年以来3年ぶり・9度目の東京モーターサイクルショーに出展。コロナ禍を考慮し初の4辺独立の単独9ブース体制で臨み中央部にはグランドピアノを配し生演奏を行うなど驚愕な話題になった。
地元しづかホールにて7月には【ARCHI&YSS感謝祭】、10月には【Z祭】を開催し新時代のバイクイベントが幕を開けた。
東京モーターサイクルショー出展車両
PMC、ARCHI、YSSの各テーマカラーを打ち出し、エキゾチックで近未来的なブースを展開して、10度目の東京モーターサイクルショー出展。
秋には、明石海峡公園にて第2回Z祭を開催し、50社以上がブースを出展、1,500名を超える来場者と共に大いに盛り上がった。
また、11月には新たな物流拠点として新物流倉庫が完成。200名以上を招いて盛大な落成式を行った。